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原発作業員の誇りと悲劇

 2012-10-13
エコノミスト誌が、ジャパンタイムズの記事について、6名が身分を明かさなかった事を書かなかったことと、記事の表題を『福島50』ではなく「野田」とした事を少し批判口調で書いたことに対してか。。。


japan_times_logo.jpg
 ジャパンタイムズからです。


Thursday, Oct. 11, 2012

'Fukushima 50' recount quiet heroism
『福島50』静かな英雄行為を語る



By REIJI YOSHIDA
Staff writer

NARAHA, Fukushima Pref. — Some of the "Fukushima 50" — the dozens of workers who stayed at the Fukushima No. 1 power plant at the height of the nuclear crisis in March last year — spoke out for the first time in a public event Sunday, meeting Prime Minister Yoshihiko Noda during his visit to the still-troubled plant and related facilities.
福島県楢葉: 去年3月の放射能危機のピークにあった福島第一原子力発電所に留まった何十人もの作業員、『福島50』の何人かが日曜日、まだ問題を抱えている原発と関係施設を野田首相が訪問した公式の行事で、初めて声を上げました。


Overseas media praised the "50" — the actual number is unknown but fluctuated as the crisis wore on — as dedicated heroes who braved three core meltdowns and three hydrogen explosions as they struggled to save Japan from a true nuclear catastrophe.
海外のメディアは、この『50Fifty』を、日本を、真の原子力大惨事から救うのに悪戦苦闘していたときに、3つの原子炉メルトダウンと3つの水素爆発に勇敢に立ち向かった献身的ヒーローとして称えました。実際の人数は知られていませんが、危機の経過により変動しました。


Their demeanor Sunday, however, was far from swaggering and at the start of their meeting with the prime minister they even apologized to the public.
しかしながら、彼らの日曜日の物腰は、誇り高い振る舞いとは程遠く、首相との会合の初めには、人々に対し、謝罪さえしました。


The workers have drawn much admiration from the public, as seen in the multitude of letters and banners from children pinned on a wall in J. Village, the sports facility that has served as the base camp for about 3,000 people laboring at Fukushima No. 1.
作業員たちは、人々から沢山の賞賛を惹きつけました。それは、福島第一で働く約3000人のベースキャンプとして使われているJビレッジの壁にピンで留められた子供たちからの多くの手紙やバナーからも分かります。


Many of the children's messages thank them for "working for Japan" and stopping the meltdown crisis from spiraling out of control.
多くの子供たちのメッセージは、「日本のために働き」、メルトダウン危機の制御不可能な渦を止めてくれていることに対しての感謝を表すものです。


But on Sunday, each of the eight representatives calmly described their desperate efforts during the height of the emergency, and some repeated their apology to people who suffered fear because of the nuclear crisis.
しかし日曜日に、8名の代表者たちそれぞれは、緊急事態の最中の彼らの死に物狂いの努力を静かに述べ、何人かは、放射能危機のために恐怖に苦しんでいる人々に対し、謝罪を繰り返しました。


"From the bottom of our heart, we'd like to apologize for causing (serious) anxiety and trouble" to people across the country, said Atsufumi Yoshizawa, who headed the operation team for reactor units 5 and 6 when the crisis broke out.
「わたしたちは心の底から、深刻な心配と問題を引き起こした事を国中の人々に謝罪したく思います。」と、危機が勃発したときに5号機と6号機の運転の先頭に立っていたヨシザワ・アツフミさんは言いました。


Six of the eight men declined to be identified by the media. These six are still working at Fukushima No. 1, taking part in the effort to decommission the damaged reactors and related facilities.
8名のうち6人は、メディアに身分を明かす事を断りました。これらの6人はまだ福島第一で働き、損傷した原子炉と関係施設の廃炉作業に取り組んでいます。


The scariest moment for one of the six, who was struggling to repair the critical power equipment needed to cool the reactors, was when a hydrogen explosion in the building housing reactor 3 ripped apart the entire top floor.
原子炉を冷やすために必要だった致命的な電源装置の修理に悪戦苦闘していた6名のうちの1人の最も恐ろしかった瞬間は、3号機建屋での水素爆発が最上階を全て剥ぎ取ってしまった時でした。


He had assigned his staff to work near the building. Later, he learned that a car they h
ad driven there was flattened by debris from the blast.
彼は、その建屋の近くで働くスタッフを割り当てました。後に彼は、運転してきた車が爆発からの瓦礫でつぶされてしまった事を知りました。


"The staff had a narrow escape," he said. "Tears welled up in my eyes when I finally made contact with them."
「スタッフは間一髪だったのです。彼らとついに連絡が取れたときには、目に涙があふれました。」


Masatoshi Fukura, then the operation chief of reactors 1 through 4, said about 40 key personnel stayed in the two central control rooms during the first 48 hours of the crisis.
フクラ・マサトシさんは、その時1号機から4号機の運転チーフで、最初の48時間は、約40名の主要スタッフが2つの中央制御室に留まった、と話しました。


With the power supply completely cut off, the workers struggled in darkness to revive critical instruments to find out what was happening in the out-of-control reactors.
電気の供給が完全に止まってしまい、作業員たちは、制御不能の原子炉で何が起こっているのかを知るための致命的な計器を回復させるために、暗闇の中でもがいていました。


"When the (hydrogen) explosion occurred at reactor No. 1, (workers in the control rooms) felt as if strong jolts were knocking up through the floor. All the veneer fell from the ceiling, and rooms were all covered with white dust," Fukura said.
「1号機で水素爆発が起こったとき、(制御室の作業員たちは)まるで強い振動が床を打ち上げたように感じました。全てのベニア板が天井から落ち、部屋は全て白いホコリで包まれました。」とフクラさんは話しました。


Breathing in dust contaminated with radioactive materials is extremely dangerous, so the workers were forced to wear full face masks with filters at all times throughout the crisis, even though it made breathing difficult.
放射性物質で汚染されたホコリの中で呼吸するのは、大変危険です。なので、作業員は危機の間中、たとえ呼吸が困難になっても、全面マスクをつけなければなりませんでした。


"The situation was very severe," Fukura said.
「状況はとても深刻でした。」とフクラさんは言いました。


According to Yoshizawa, more than 6,000 workers were on duty when the monster earthquake first shook the plant. The vast majority evacuated.
ヨシザワさんによると、6000人以上の作業員たちが、巨大地震が最初に原発を襲ったとき働いていたと言います。そのほとんどが、避難しました。


"First, I worried if (those 6,000) people could evacuate safely. Tsunami eventually came less than one hour after the earthquake, but even in normal times" it takes 20 to 40 minutes for everyone simply to get out of the plant's compound, Yoshizawa said.
「まず、わたしは(これら6000人の)人々が無事に避難できるのかが心配でした。津波がやってきたのは、結局地震の1時間後より前だった」けれど、通常の時でさえも、原発複合施設から全員が単純に出るだけで、20-40分かかるのだ、とヨシザワさんは言いました。


The most agonizing experience for another of the six who declined to be identified was trying to persuade his staff to go outside to repair the damaged power equipment in the dead of night.
身分を明らかにするのを断った6名のうちのもう一人の最も苦しかった体験は、その真夜中に、損傷した電力計器を修理しに外に行くようにスタッフを説得しようとした事でした。


"We knew the reactors were unstable. . . . But the night was dark, and they could have been electrocuted. There was no means of communications" such as cellphones, he said.
「わたしたちは、原子炉が不安定だと分かっていました。。。しかし夜は暗く、感電死してしまう可能性もあったのです。携帯電話のようなコミュニケーションの手段が全くありませんでした。」と彼は話しました。


"My staff were too scared to go. They asked me sternly, 'Will we be able to return safely if we go out now?' " the man recalled.
「私のスタッフは、あまりにも恐ろしく、外に出られませんでした。彼らはいかめしく私に尋ねたのです。「今外に出て、私たちは無事に帰ってこられるのでしょうか?」


One of the representatives headed a firefighter squad at Fukushima No. 1.
代表者の中の一人は、福島第一で、消防隊を率いました。


"I was injured by the (hydrogen) explosion at reactor No. 1," he said. "All of the glass windows in our fire engine were shattered, and debris hit my hand and broke the bones."
「私は1号機の(水素)爆発で負傷していました。」と述べました。「消防車の全ての窓ガラスが飛び散り、瓦礫が私の手にあたり、骨を折ったのです。」


He was sent away from the facility for treatment. He said he still feels guilty about leaving his fellow firefighters, who struggled on for weeks.
彼は、施設から治療に送られました。彼はまだ何週間ももがいていた仲間の消防士たちに対して罪の意識を感じている、と言います。


"I was the head of the squad." he said. "Everyone else had a really hard time."
「私は消防隊の隊長だったのです。他のみな全員が、本当に大変な思いをしたのです。」

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チェルノブイリの事故処理にあたり表彰された作業員たちは、どうだったのでしょう?


サクリファイス - 犠牲者ー事故処理作業者(リクビダートル)の知られざる現実
2003年 フェルダードフィルム スイス





1986年5月6日、原子炉火災が収まったのは、

Picture1_20121014143642.jpg 

ロシア・ウクライナ・ベラルーシは彼らを見捨てて彼らは孤独に捨て置かれた。

そして西側世界も彼らの事を黙殺した。




1991年

Picture4_20121014143641.jpg 


Picture5_20121014143641.jpg 

お偉方は沢山の約束をしてくれたものだ。この表彰状は屋根の上で良い仕事をしたから渡してくれた。

それで屋根の上で働いて、終わって屋根から降りてきたら指揮官がくれた報酬というのがこれだった訳だ。



Picture8_20121014143640.jpg

2日目は約30なのに「5」

指揮官に要求した。「なにしている?測定通り書いてくれ!」

すると、

「さっさと出てけ!2度と来るな!」

それで終了。


Picture9_20121014143640.jpg



放射能汚染されたダンプや道路に水を浴びせた。あちこちの村落で作業したが、

Picture10_20121014143639.jpg

上に尋ねた。「なぜこんな無駄働きばかりしなくちゃいけないのか?」

すると、

「質問するな。おまえは連れてこられたのだからさっさと働け」



.....私たちは部落を除染した。ショベルで土壌をはぎ取り、手でトラックに積み込む。

塵埃が充満した。そして当然ながらそれを吸い込んだ。


.....事故現場から10月に帰宅したが直ちに異変が現れた。

11月。まず左の手の感覚が無くなり、次に左腕。次に左の尻。そして両足が麻痺した。

医者もお手上げだった。放射線被ばくが原因だということすら認めようとしなかった。



Picture11_20121014143712.jpg

私たちの事は永久に記憶されるのだと思っていた。

でも今は御用済みでお荷物なのだ。

求めているのはただ人間的な扱いなのに、それだけでやかましい厄介者なのだ。


.....医者も来ない、誰も来ない。私たちは社会のゴミなんだ。


1999年

Picture12_20121014143711.jpg

太陽は輝く。美しく輝く。

思い出したら地獄をみる。忘れてしまった方がましさ。

「今は昔 夢かうつつか」というだろう。


.....本当はまだ若い… 38歳だが、60歳だと言ってもかまわない。

何が違うんだい?

チェルノブイリがあってからというもの、希望もなにも無くなったんだ。


2001年

Picture13_20121014143711.jpg

私たちは83年に結婚。早くも86年には夫はチェルノブイリに行き、全ての災厄はそこから。

夫はいつも入退院を繰り返し、夫の左腕は麻痺し、次は左足も麻痺。

なのに言われました。

「仮病だろう?ふざけてるんだろう?」

大の大人が歩けないのです。明らかではありませんか。夫はしきりにつまづいて倒れました。

医者は「風邪でも引いたんでしょう。運転手をしていると激しい風に当たりますしね」と。

でも実際には全然違う病気だったのです。


チェルノブイリは悲劇。まだ理解されていない悲劇。

放射線被ばくによるこの病気は、実質上治療不可能で、患者たちはサンプルにされているのです。


Picture14_20121014143711.jpg

ベラルーシ全体の悲劇です。そしてあの人たちの悲劇。

とりわけ人を救い、全てをこなし、そしてたちまち全く忘却されていった人々の悲劇です。


2003年

Picture100_20121014150220.jpg

「チェルノブイリの妖怪」はまだ生きているのだ。


~*~*~*~*~*~*~*~

2011年

福島第一原発事故が起こりました。

ハード面で向上している部分はあるようですが、

それを使い管理するソフト面は、全く変わっていず。。。


今のところ、

チェルノブイリでの教訓というものは、

見当たりません。。。



社会主義とか、資本主義とか、先進国とか発展途上国とか、

そんなことに関係なく、

事故が起きたときの国の対応は、

進化しないようです。



教訓を胸に重く刻み、

精神的に進化を遂げた人間が、


何とか歴史が繰り返されることを

止めなければなりません。




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Author:Blue Dolphine
ボア君 21歳
(いのしし年生まれ)
ラビ君 18歳
(うさぎ年生まれ)
エリー 9歳
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と連れ合いに、そして周りの全ての人たちから日々幸せをもらっている母です。

バンクーバー近郊に被曝からの避難を考えている方、できる範囲でお手伝いします。遠慮なくご連絡ください。




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