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国際赤十字派遣員、福島の記録 1

 2012-08-28
JAPAN SIX MONTHS ON - DIARY 1: Memories and an uncertain future
6ヵ月後 記憶と不確かな未来


Published: 7 September 2011 11:31 CET
By Francis Markus in Yabuki, Fukushima Prefecture


Mrs Yamada lights a short stick of incense and plants it in a bowl in front of the photograph of her late husband and the stone spirit tablet, which is Japanese people’s traditional way of remembering the dead.
山田さんは、短いお線香に火をつけ、彼女のなくなった夫の写真と位牌の前の香炉に立てます。それが亡き人を偲ぶ日本の伝統なのです。


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I can see in this simple action the charge of emotion in this tiny 76-year-old woman, who was widowed in December last year.
わたしは、この簡素な作法に、この76歳の老婦の感情が充ちてくるのを感じました。彼女は、去年の12月に未亡人になったのです。


As if that wasn’t enough, she then had to leave her home with her family in March this year after the government declared a 20 kilometre exclusion zone around the Fukushima nuclear plant. The family’s home in Namie was squarely inside the forbidden area.
それだけでは十分でなかったのか、今年(2011年)の3月に政府が福島原発周辺の20kmを立ち入り禁止地区と宣言し、彼女は、家族と共に家を離れなければなりませんでした。浪江の家族の家は、すっぽりと禁止地区内にあったのです。


“I was glad that we could pay a temporary visit back to our house in early August so I could retrieve the photo and the spirit tablet, and I could go and lay fresh flowers on his grave,” she says.
「8月のはじめに一時帰宅ができて嬉しかったです。写真と位牌を持ってきてお墓に花をたむけることができましたから。」と彼女は言います。


We are talking in one of the rooms of the family’s prefabricated temporary house in a community on the outskirts of the town of Yabuki, about 60 kilometres west of the Fukushima plant. On the low table where Mr. Yamada’s photo stands is a bowl with three grapefruit and standing on the floor, a celadon vase of fresh flowers. On the wall of the prefabricated house several water colours of fruit and flowers have been taped.
わたしたちは、矢吹町の端の地域にある仮設住宅の、その家族の部屋の1つで話をしています。福島原発からは60kmほど西にあります。山田氏の写真たてのある低いテーブルの上には、グレープフルーツが3つ入ったお皿があり、床の上には、新鮮な花を生けた青磁の花瓶がおいてあります。仮設住宅の壁には、果物と花の絵がテープでとめられています。


p-JPN0479.jpg


Not Worried about Radiation
放射能は心配ではない


Sitting with us are her daughter, Ayako, and 23-year-old grandson Takaaki, who was working in the Fukushima plant at the time of the disaster. “I haven’t had a radiation check, but several of my mates went for one and the results were not too bad, so I’m not really worried,” He says. His mother is more worried.
一緒に座っているのは、彼女の娘のアヤコさんと、23才の孫、タカシさんです。タカシさんは惨事が起きたとき、福島原発で働いていました。「放射能の検査は受けていません。でも、何人かの同僚は一度検査に行き、結果は悪くはありませんでした。だから、わたしもあまり心配していません。」と彼は言います。彼の母親はもっと心配しています。


When I ask her if she thinks they will be able to go back, she says: “Half of me wants to, but half of me knows that we can’t.” As to where they will go if they’re unable to return home, she says: “We can’t think about that now. We will think about it if it comes to that.”
彼女に戻れると思うか、とたずねると、彼女は言いました。「半分は帰りたいけれど、もう半分は帰れないと分かっています。」もし家に戻れないなら、どこに行くのか、ということについては、「今は考えられません。そうなったときに考えます。」


What Takaaki is more worried about right now is trying to find a job. The family has been here since late May and he says he’s not choosy. “Any job would be OK as long as it brings in some income.”
タカキさんが今もっと心配なのは、仕事を見つけることです。家族は皆ここに5月の末からいて、仕事は選ばない、と言います。「収入さえあれば、どんな仕事でもいいのです。」


Red Cross Helps
赤十字の援助


The family has received cash grants from the Japanese Red Cross Society, distributed by the local government. Their temporary home is also equipped with domestic appliances – a package comprised of a refrigerator, washing machine, TV, hot water dispenser and rice cooker and microwave – all provided by the Red Cross. For now, they are as comfortable as the circumstances allow. But they face an uncertain future.
その家族は、日本赤十字から義援金を、福島県から受け取りました。仮設住宅には、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、湯沸かし器、炊飯器、電子レンジの家電一式も備え付けられています。全て、赤十字から提供されたものです。今のところ、状況が許す限りは快適です。しかし、不確かな将来に直面しているのです。

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この日誌が書かれてから1年以上がたとうとしています。


福島よりSOS(ワンダフルわーるどより抜粋)

広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、は南相馬(小高、原町、鹿島)の仮設住宅、借り上げ住宅、施設、幼稚園、小学校、中学校、あわせて100カ所以上の方々に支援品送りをさせて頂いている方からの手紙なのだそうです。


~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

私たちの義援金についてお話しさせていただきます。これは日赤の方からうかがった話です。私たちの義援金はそのまま県に渡し、県から市町村、そして被災者にと委ねたそうです。海外からの義援金は被災者への家電6点セット、教育支援、体育館、病院修繕費、ソフト事業費に。日赤としては国から資金をもらうことはなく、以前からの日赤の資金で毛布配りをしたとのことでした。被災者に義援金のことをたずねると、一家族につき5万円、7万円、30万円と町によって異なっておりました。それにしても余りにも少ない義援金。私たちの義援金はどこに使われてしまったのでしょう? 被災者にとって悲しかったことは、国からのお見舞金が何もなかったことです、とおっしゃっていました。

 東電の補償金についてお話しいたします。東電は賠償金の一部として昨年秋頃、単身者75万円、一家族(2人でも7人でも一様に)100万円支払いました。しかも申請のためには何ページもの書類を書かせられて。しかし、この賠償金は仮払金なので、全額返すように言われ、12月頃から被災者は返金させられています。また、昨年6月から3カ月毎に、精神的損害金が一人10万円ずつ支払われるようになりました。しかし、このお金も仮払い金なので、6月からの3カ月分を返済するように言われ、被災者は自動的に引かれています。つまり、単身者は105万円、3人家族なら190万円を返金しなければならないのです。人によっては、毎月の10万円で返金することにした、という人もいます。何ということでしょう。お金のない被災者は、どうやって生きて行ったらよいのでしょう?

...仮設住宅は人間の環境としては考えられないほど最悪です。私にはとうてい我慢できないと思いました。4.5畳という狭い部屋、押し入れは半畳。収納場所がないため、最低限のものしか置けません。周りに品物を置くと空きスペースは寝るのがやっと。手足を十分に伸ばせません。隣の人の話し声が聞こえるので、小さい声で話したり、テレビも小さい音にして聞いているとのこと。屋根はトタンなので、今は冷房をしないとサウナ風呂に入ったよう。窓は一つでベランダもないので、玄関の戸を閉めると、真っ暗で風通しが悪く、穴蔵に入ったようで、夜は寝られず、熟睡できません、と言います。2~3人家族は4.5畳2間、プライバシーを守ることもできず、空間がありません。ある被災者は、「ここにいると息が詰まりそうで頭がおかしくなります」と言いました。


... 除染について、被災者の声をお伝えします。
「わたしたちの町は、もう住めないことが分かっている。30年40年帰れないことも分かっている。だのに、住めない所をどうして除染するのか。お金を捨てているようなものです。それよりも被災者の生活安定に目を向けて欲しい。別なところに新しい町を作って欲しい。新しい住まいも作って欲しい。除染ばかりに目を向けず、被災者の生活をまず第一にして欲しい。汚染された所は仕方がない。そこを廃棄物置き場にしたら良い。ふる里を失うことは辛いです。しかし、前を向かなければならない。私たちはもう住めないと思っているのですから。しかし、東電と国は除染したがる。そして解除したがる。解除して自宅に帰れると、補償金を出さなくて済むからです。国と東電は一つです」と、ある被災者は言いました。


.........



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Blue Dolphine

Author:Blue Dolphine
ボア君 21歳
(いのしし年生まれ)
ラビ君 18歳
(うさぎ年生まれ)
エリー 9歳
(ラブラドール犬 ♀)

と連れ合いに、そして周りの全ての人たちから日々幸せをもらっている母です。

バンクーバー近郊に被曝からの避難を考えている方、できる範囲でお手伝いします。遠慮なくご連絡ください。




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