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カナダBC州が、日系カナダ人に正式謝罪

 2012-05-24
私は日系移民(カナダ人になりたいなぁ。。。)1世なので、話には聞くことがあっても、どこかで歴史の一片として、少し遠くに感じていたことでしたが。。。

日系3世にもなれば、両親が強制収容され、財産を全て没収された経験を持っています。


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Apology a long time coming
待ちわびていた謝罪


By Jennifer Moreau, Burnaby Now May 16, 2012

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Burnaby resident Stanley Fukawa, 74, Photograph by: Jennifer Moreau, BURNABY NOW

Better late than never. That's what Burnaby resident Stanley Fukawa, 74, had to say about the provincial government's apology to Japanese Canadians who were placed in internment camps and had their property seized during the Second World War.
遅かったにしても、何もないよりは良い。それは、バーナビーにすむ74歳の住民、スタンレイ・フカワさんが、第二次世界大戦中に強制収容所に入れられ、財産を押収された日系カナダ人に対して州政府が謝罪したことに対して述べた言葉です。

"Hopefully, this kind of thing won't happen anymore," Fukawa said.
「願わくば、このようなことはもう起こって欲しくありません。」とフカワさんは言いました。

After Japan entered the Second World War in 1941, roughly 21,000 Japanese Canadians were incarcerated under the War Measures Act. Members of the Canadian military and the RCMP argued they were not a security threat, yet the B.C. government pressured the federal government to intern the Japanese. They were ordered to leave the West Coast of B.C., even though 80 per cent of them were born in Canada.
日本が1941年に第二次世界大戦に突入してから約2万1000人の日系カナダ人は、戦時措置法により監禁されました。カナダ軍とRCMP(警察)は、日系カナダ人が脅威ではない、と議論しましたが、BC州政府は日本人を拘禁するようにカナダ政府に圧力をかけたのです。80%以上の日系カナダ人がカナダで生まれたにも関わらず、BC州の西海岸を立ち退くように命じられたのでした。


Fukawa was only four years old when Japanese Canadians were forced to leave the West Coast by April 1, 1942. His mother and father packed their bags and left their Mission berry farm behind, thinking they would be able to return soon.
日系カナダ人が1942年4月1日までに西海岸立ち退きを強いられたとき、フカワさんは、たった4歳でした。彼の父母は荷造りをしてミッションのベリー農場を後にしました。すぐに戻れると思いながら。


Families who stayed past the deadline were forced to move. Many Japanese Canadians were initially held in livestock barns at Hastings Park before they were sent to internment camps in B.C. and the Prairies. Families were split up, their property and fishing boats were seized and auctioned off, and anyone who resisted was sent to a prisoner of war camp in Ontario.
期限を過ぎても居残った家族は、無理やり移動させられました。多くの日系カナダ人は、BC州強制収容所と平原に送られる前に、まずヘイスティング公園の家畜小屋に収容されました。家族はばらばらにされ、彼らの財産や漁船は没収されオークションに出されました。抵抗するものは皆、オンタリオ州にある捕虜収容所に送られました。


The Fukawas settled in Vernon, but as Japanese Canadians, they were for-bidden to own property and their travel was restricted. Their farm was resold, Stanley thinks to a returning veteran.
フカワさんは、バーノンに落ち着きました。しかし日系カナダ人として自分の土地を持つことを禁じられ、旅行は制限されました。フカワさんは、彼らの農場が、復員軍人に売られたのだと考えています。


"My parents were very bowled over to be deprived of their property and their freedom. It was very tough for them," Fukawa said.
「私の両親は、財産と自由を奪われたことで、衝撃を受けていました。彼らにとってはとてもつらいことだったのです。」とフカワさんは言います。


Fukawa's father found more farm work in Vernon, and the family saved enough to buy a new farm once they were allowed to return to the Fraser Valley on April 1, 1949, years after the war ended. No Japanese Canadian was ever charged with an act of disloyalty.
フカワさんの父親は、バーノンの農場で仕事を見つけました。そして、家族は1949年4月1日にフレーザーバレーに戻ることを許されたとき、新しく農場を買う得るだけの蓄えができたのです。日系カナダ人で不忠の罪に問われたものはいませんでした。


"B.C. was a very different place at that time. It's unbelievable we were so racist," Fukawa said. "There was this saying: 'Once a Jap, always a Jap.' If you were born with Japanese genes, you were sneaky, and you were going to kill all the white people. That's how they justified this. It was to protect themselves."
「BC州はあの時とても違いました。信じられないですが、人種差別主義が強かったのです。『かつてジャップなら、ずっとジャップだ』と言われました。日本人の遺伝子を持って生まれれば、その人は卑怯者で、白人を全て殺してしまうだろう、と。彼らはそんな風に正当化したのです。自分たちを守るためだと。」


B.C. formally said sorry on Monday, May 7, when Naomi Yamamoto, MLA for North Vancouver-Lonsdale, introduced a motion to apologize in the legislature.
BC州は4月7日月曜日、ノースバンクーバー・ロンズデール選挙区のヤマモト・ナオミ議員が議会で公式に謝罪を表明しました。


"The House deeply regrets that these Canadians were discriminated against simply because they were of Japanese descent and believes that all Canadians regardless of their origins should be welcome and respected," Yamamoto said in the house.
「議会は、単に日本人の祖先であるというだけで日系カナダ人が差別されたことを深く悔やんでいます。人種に関わらず、全てのカナダ人は快く受け入れられ、尊重されるべきです。」とヤマモト議員は議会で述べました。


"What else can they say, I guess," Fukawa said.
「他にどんな言葉があるだろう。」とフカワ氏は言いました。


In 1988, the federal government made a similar apology and offered compensation to Japanese Canadians for wrongful incarceration and property seizure, but Monday's apology was a first for B.C. 1998年に、カナダ政府は動揺の謝罪を行い、不当な監禁と財産没収に対して、日系カナダ人に賠償を申し出ました。しかし月曜日の謝罪は、BC州にとっては初めてのものです。


www.twitter.com/JenniferMoreau

© Copyright (c) Burnaby Now





第2次世界大戦中の出来事についての謝罪は、カナダ政府のもとになされましたが、2万1000名の日系カナダ人は、BC州中央部の強制収容所に監禁されました。財産は没収されました。

議会は、単に日本人の祖先であるというだけで日系カナダ人が差別されたことを深く悔やんでいます。人種に関わらず、全てのカナダ人は快く受け入れられ、尊重されるべきです。

カナダでわたしたちは今日、光栄にも、開かれた、差別のない、多文化の社会に暮らしています。1941年に、私の父、カナダ人のマスにとっては、そうではありませんでした。14歳のときポイントグレイ中学校に通い、父は学校が好きで、仕官候補生であることが大いに気に入っていました。しかし、その年の12月のある日、マスは、何人かの、やはり仕官候補生の日系カナダ人の友人と共に校長室に呼ばれました。校長先生は彼らに、仕官候補生としての訓練の代わりに、タイプのクラスかバスケットボールのどちらかを選択しなければならないと告げました。もはや、士官候補生として参加が認められなかったからです。

今は戦争中で、私たちは、あなたの国の人たちと戦っている。警戒しなければならないのだ、と校長先生が言った時、父は唖然としました。父はすぐに、「私たち」が自分を含んでいないことに気付きました。そしてあなたたち、が日本人を意味していたことを。日本人は「私たち」ではなく、「私たち」は、カナダ人を意味しているのだ、と父は思いました。彼らは校長室を出ました。父の母は、カナダの戦闘努力を支援するために父を学校に送ったのです。

数ヵ月後、西海岸を立ち退くように言われ、彼は、州内の強制収容所に送られた日本人の祖先、2万1000人のうちの1人でした。私の父や、その兄弟、姉妹のように、1万4000人の監禁者がカナダで生まれました。カナダ政府は戦時措置法の規定のもと監禁例を出し、無秩序置換が当時のBC政府に指示されました。実際に、BC州政府から労働省大臣、BC州書記官、警察署長の派遣団がオタワに行き、日本人を拘禁するように働きかけたのです。この派遣団は、日系カナダ人の漁の免許と、日系カナダ人が日本人以外の人に漁船を販売することを差し押さえ、全ての軍人年齢の日系カナダ人を監禁することを公式に制約させたのです。


中略(上記記事と重複するので)


根拠のないサボタージュとスパイ行為の申し立てが勝利し、1942年3月24日、私の父、彼の兄弟、姉妹、そして母、わたしの祖母が身の回りのものを荷造りするには24時間しかありませんでした。1939年にわたしの祖父は祖母と6人の子供を残して他界していました。

これは、当時の州政府が直接責任のある歴史的な正義です。裏切りの余地は日系カナダ人の経験に示されてます。カナダ政府は、日系カナダ人が解放されたときに家、漁船、その他の財産の返却を確証しましたが、実際には、1ドルのような値段でオークションにかけられました。ジュネーブ条約で保護されている戦犯とは違い、日系カナダ人は、自分たちの監禁に、このような形で代金を支払わなければなりませんでした。

移動は制限され、男性は検閲されました。男性は家族と離され、道路工事や線路、サトウキビの収穫などの作業をさせられました。女性と子ども、年寄りは、グリーンウッド、サンデン、ローズベリー、ニューデンバー、ペンシルキャニオンやクートニーのような内陸の小さな町の強制収容所に送られました。

わたしの父の家族は、終戦までロンドンクリークに監禁されました。クリークは今では州でも美しい場所ですが、当時の収容所での状況はとても過酷なものでした。監禁中、両親は、子どもたちの教育を要請し、小屋が教室になりました。私の母が収容されたニューデンバーでは、ユナイテット協会が寛大に高等学校を設立してくれました。多くの子どもたちはいろいろな収容所からニューデンバーまで、学校へ行くためだけに何マイルも歩きました。

戦争は1945年に終わりました。しかし、虐待は続きました。日本人が祖先のカナダ人は、ロッキー山脈の東に移動するように命じられるか、戦争で裂かれた日本に送られました。全ての日系カナダ人をBC州から退去させようと示し合わされた取り組みがあったのです。

わたしの父の家族は、実際には、オカナガンになんとか残りました。当時の小さなオカナガンの村、オオヤマが、しばらくの間、我が家になりました。しかし、日系カナダ人が法的にBC州西海岸に戻ることがるされたのは、1949年になってからでした。わたしの父は22歳で、高校教育も受けていませんでしたが、その年は、重大なものでした。

1949年に、日本の血をひくカナダ人は選挙権を獲得しました。そして60年後、2009年にわたしは、日系カナダ人として始めてのBC州議会の議員として、選ばれるという栄誉を得たのです。

議会は、わたしの父が高校の卒業相応の教育を終了するために克服した障害についての話を聞いてくれました。そして、戦後約20年、最後には、UBCで、薬学は博士号を取得しました。彼はそれを、フルタイムで働き、子どもを育てながら成し遂げたのです。今日、父はこの議会に、わたしの達の歴史の中の、異なった時間にいます。

これは、小さなわたしの家族の話です。民族の美徳により多くのカナダ人になされてきたことは、今日の尺度では考えにくいものです。1988年に、カナダ政府は正式な謝罪と賠償法案と、カナダ人種関係財団の基金を提供しました。カナダ政府には、その働きかけを多くのBC州住民が実行するための、究極な責任があります。

たった20年ほど前に第一次世界大戦からの帯勲復員兵の何人かは、その勇敢さとカナダのための犠牲を表彰されました。そして、日系カナダ人の誰も、不忠のために罪に問われることはありませんでした。

この不正、困難、差別にもかかわらず、ほとんどの監禁された者たちが、多くを望まないことを選びました。その代わりに、家に戻ることを許されると、彼らは袖をまくり、、生活とコミュニティーを再建したのです。当時の痛々しい詳細は、一般的に何年もの間、子どもたちに話されませんでした。やることが山ほどあったからです。

わたしの父は言います。わたしたちはいつも、どこから来たにしても、それを覚えているべきだと。しかし、いつの日か、人々が、インド系カナダ人、ドイツ系カナダ人、あるいは日系カナダ人などとということを忘れてしまうようになるのを望んでいる、と。わたしたちが、それを超越して、皆カナダ人なのだと言わなければならない時なのです。

今年は、監禁から70周年を迎えます。なので、わたしたちの州の歴史の中で、この瞬間、思い出すことがふさわしいのです。そして、このようなことが二度と起こらないことを約束しましょう。

わたしは、友好的な社会、どのような形でも差別のない社会の確約して、日系カナダ人社会に対しての公式な謝罪という動きを議会で支持します。ここに今日いる全ての傍聴人の方々が、それに値するのです。ありがとうございます。




ふと息子たちのことを思いました。

カナダで生まれた彼らは、自分たちが日本人だと言う認識がありません。


完璧ではないかもしれませんが、

今は、そのようなことを気にせずに、皆がカナダ人として生活している社会が築かれたのだと感じています。



そして母国を思いました。


何十年後かに、

日本政府が、福島事故後の政策について、正式に謝罪することがあるだろうか、と。

そのことで取り戻せるものはないけれど、

心の中に、

自分の誇りを取り戻せた喜びを、

ほんの少し感じることができるのかもしれません。。



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