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チェルノブイリの遺産

 2012-04-29
The Nation

The Legacy of Chernobyl
チェルノブイリの遺産


Laura Flanders on April 26, 2012 - 3:29 PM ET


Twenty-six years after the meltdown at Chernobyl, the legacy of the 1986 explosion lives on.
チェルノブイリのメルトダウンから26年、1986年爆発の遺産は生き続けます。


"It is a disaster that left a 30-kilometre uninhabitable exclusion zone, displaced hundreds of thousands of people, and still threatens the lives of tens of thousands," writes Greenpeace today.
「それは、30kmの人が住めない立ち入り禁止地区に残された惨事です。何十万の人々が立ち退かされ、未だに何万もの人々の命が脅かされています。」と今日グリーンピースは書いています。


All these years and a triple meltdown at Fukushima later, the industry and its supporters have yet to learn.
これまでずっと、そして福島のメルトダウンの後、業界とその支持者は、未だに学んでいません。


"The nuclear industry still hasn't realized or admitted that its reactors are unsafe. Reactors are vulnerable to any unforeseen combination of technological failures, human errors and natural disasters. That puts the tens of millions of people living near the worlds more than 400 reactors at risk." Write Greenpeace's Justin McKeating.
「原子力業界は、未だに原子炉が安全でないということを認識せず、あるいは認めていません。原子炉は、技術的失敗、人間の間違え、自然災害の、予期できない組み合わせにもろいのです。それは、世界にある400の原子炉付近に住む何千万人もの人々の命を危険に曝しています。」グリーンピースのJustin McKeatingは書いています。


To get a sense of just what those tens of millions live at risk of, take a look at these photographs by award winning photographer Paul Fusco. Earlier this month I had a the honor of participating in the fourth Schuneman Symposium held at the Scripps School of Journalism at Ohio University. Among the speakers was Fusco, an extraordinary MAGNUM photographer who traveled to the Ukraine to see the legacy of Chernobyl after twenty years. Fusco expected to stay two weeks. He stayed for two months, following parents, children, nurses and cancer patients.
その何千万の命の危険性を感じるため、受賞暦のある写真家、Paul Fusco氏の写真を見てみましょう。今月の初めに、私は光栄にも、オハイオ大学のScrippsジャーナリズムスクールで開かれた、第4回Schunemanシンポジウムに参加しました。スピーカーのうちの一人がFusco氏でした。彼は、20年後にチェルノブイリの遺産を見に、ウクライナへ旅した、非凡な「マグナム」の写真家です。Fusco氏は、2週間の予定で行きましたが、2ヶ月滞在することになりました。両親、子どもたち、看護婦、癌患者を追ったのです。


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ウクライナ プリピャチ 1997 チェルノブイリ原発作業員野ための荒廃した住居


"It changed my life. I couldn't leave. It was so immense in its implications. There is so much damage to so many people in so many ways…" says Fusco.
「その旅はわたしの人生を変えました。立ち去ることができなかったのです。それは含蓄において測り知れないものでした。あまりにも多くの形で、あまりにも多くの人々に、あまりにも多くのダメージがあるのです。」


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ベラルーシ Maiski 1997 Nikolai Yanchen 6年の除染作業の後、右足を失う。今でも汚染地域に暮らす。


Yet his extraordinary photographs, which you can see here in a short promotional slideshow, aren't printed in US papers. They're like his pictures of US military funerals, his current project, which is called Bitter Fruit. "The pictures are printed a lot in Europe. Never here," Fusco told the Scripps students. "Why do you think that is?"
しかし、短いスライドショーで見られる、彼の思いもよらぬ写真は、アメリカでは出版されていません。彼が現在取り組んでいる「苦い果実」と呼ばれる、アメリカ軍の葬儀の写真のようなのですが。「写真はヨーロッパでは沢山印刷されています。でもここでは決してされません。」Fusco氏は生徒たちに言います。「なぜだと思いますか?」




スライドショー、ナレーションをザクっと私訳してみます。



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チェルノブイリの4号機原子炉は、現代の疫病を解き放ち、都市を空っぽにし、全地域を捨て去り、目には見えずに体の中へしみ込み、その破壊的な存在を曝した。
写真家のPaul Fuscoは、チェルノブイリの暗い遺産に直面し、今では20年となる出来事が人間にもたらした恐ろしい結果に焦点を当てる。





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ベラルーシ ミンスク 1997  小児癌病院 マリア 9歳 科学治療を受ける孤児

彼女はいつも泣いていました。両親も兄弟も姉妹もいないのです。何もないのです。それでもすばらしい看護婦のおかげで、この場所が大好きになりました。ここの人たちといるのがとても嬉しいのです。他の子どもたちも元気付けます。私を見上げて言いました。「見て。私の家族よ。」


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ベラルーシ 1997年 Novinki救育所 ミンスク 友達が外でいる間、金切り声を上げる少年

それはとてもよい教訓でした。私は彼らと話ができず、彼らも私と話ができませんでした。でも遊んでいるのです。とても仲が良いのです。


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ベラルーシ 1997年 Novinki救育所 ミンスク マットの上に集まるともだち

内なるところで、とても活発なようでした。走り回ったりはしませんが、内面的に、とても活発なのです。


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ベラルーシ 1997年 Novinki救育所 ミンスク 出血するまで自分の手を噛み続けないように、我慢させられている少年

彼は縛り付けられています。悪い子でいじわるだからではありません。自分でコントロールできないからです。血を出すまで自分を噛みつづけるからです。


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ベラルーシ 1997年 Novinki救育所 ミンスク 常に何かにおびえているかのように暮らしている少年

この車椅子の少年はおびえています。私に反応しているのではありません。一日中そうなのです。車椅子に座り、撹乱し、縮みあがり、うなり声を上げ、恐怖にもがき、やがて落ち着き、数分眠り、リラックスし、そしてまた始めるのです。


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ベラルーシ 1997年 Novinki救育所 ミンスク 朝食後、ホールのマットに移される少年たち。体を揺らしたり縮こまりながら一日を過ごす。

彼らの何が問題なのか?分かりません。


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ベラルーシ ミンスク 小児癌病院 治療中付き添う両親 癌で片足を失った少年

彼の後ろで母親たちは、自然が何を彼にもたらしたのか、不思議に思います。


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ベラルーシ 1997年 Novinki救育所 ミンスク 歩けない少年たち。這って、転がって、滑って移動する。

多くのこともたちが、生まれたときに諦められてしまっています。このような子どもたちを育てるということが想像できますか?とても貧しくて。どうやったらできるでしょう?もし、その責任をもはや持たなくなり離れてしまったら、彼らは自分たちで何とかします。



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ベラルーシ 1997年 Novinki救育所 ミンスク 床の上で食事をする少年たち

何か違う種族のようです。床にいる子どもたち。歩けない。歩かない。体をゆすれない。転がって、這うのです。滑って、床の上で食事をします。動物の群れのようです。


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ベラルーシ 1997年 Novinki救育所 ミンスク スプーンで食べさせられるどうにもならない少年

精神的な問題がある子供たちの施設で、彼らは教育されず、何の訓練もなく、ただ生き続けるだけ。それでも、生存不能とは考えられず、その施設でただなるように大人になり、そこで生涯過ごすのです。


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国連によると、700万人が被害を受け、子供たちがその半分。ベラルーシだけで50万の子供たちがチェルノブイリの犠牲者だといいます。


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ベラルーシ 1997年 Novinki救育所 ミンスク からだの使い方を教える理学療養士

医者の中に、もうベラルーシに人はいなくなる、と言う人がいます。拭い去さられてしまうのだと。本当でしょうか?私には分かりません。でも彼らは、そう強く感じ、恐れていたのです。


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ベラルーシ ミンスク 小児癌病院 Vova 15歳 写真撮影の1年前に癌で左足を失う

母親が言います。Vovaの親友知ってる? いいえ、知りません、と私は答えました。 彼は死んだのです。彼はとても聡明で、最後の日、彼の母親に尋ねたのです。「お母さん、どうして僕は死んでいくの?どうして?」



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ベラルーシ ミンスク Vovaはずっと病院にいる。癌が転移し、医者にもう術はない。

そして言うのです。「チェルノブイリだ!チェルノブイリだ!他にどんなことがありえるんだ?チェルノブイリ!!」母親は、Vovaの前でその話をしました。写真を撮らせてくれたときに。Vovaも自分が死んでいくのを知っていました。彼女は、Vovaの前で言いました。どうしてか分かりません。彼女は準備していたのでしょうか?


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ベラルーシ ミンスク 第一チルドレン・ホーム Katya 3歳 先天的にいくつもの硬化症を持って生まれる。 彼女を抱っこする看護婦のNina Azarkova。


彼女は酷い出生異常を持って生まれてきました。看護婦が彼女の世話をしている写真をいくつか撮っていました。



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ベラルーシ ミンスク 第一チルドレン・ホーム Katyaのは母親が定期的に尋ねても、Katyaは決してそれが母親だとわからない。

そして、この女性が来て、子供を抱き、あやし、話しかけます。看護婦が彼女が母親だと教えてくれました。ほぼ毎日来るのだと。


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ベラルーシ ミンスク 第一チルドレン・ホーム この病院は、奇形で生まれてきた多くの赤ん坊を生後まもなく受け入れている。

1時間ほど過ごすけれど、子供は、彼女が分からないのです。毎日来るたびに、彼女には娘がいないのだと知るのです。娘には、自分の母親がいることが分からないのです。


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ベラルーシ ミンスク 第一チルドレン・ホーム 肝臓が肥大した2歳半の男の子を抱く看護婦(Alla)

Alla。聖なるAlla。ひどい腫瘍。彼女は男の子を抱いています。大好きなのです。時に自分の子供より、彼のことを愛おしく感じる時があるのだと言いました。



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ベラルーシ ミンスク 第一チルドレン・ホーム 手術不可能の腫瘍を持つZgenyaの入浴を準備する看護婦、Alla Komarova


彼女は入浴の用意をしています。信じられません。グロテスクな女の子。その腫瘍に肝臓があるというほかに、わたは何も知りません。



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ベラルーシ ミンスク 第一チルドレン・ホーム 脳が後頭部、頭蓋骨の脳膜にでてしまったYulya

Allaと頭蓋骨の外に脳が出てしまった男の子。


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ベラルーシ 小児癌病院 ミンスク 癌治療のため化学療法が進行中の娘と母

わが子を抱く母親。髪の毛のない子供。化学療法。それがなんのためか知っていますか? 癌なのです。私は母親のことを考え続けました。自分を責めているのか?



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放射能は免疫システムを破壊するので、体は癌細胞と戦えません。ミンスクの甲状腺腫瘍センターは、甲状腺癌が2400%増えたと言います。



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べラルーシ Gonel 孤児院 リンパシステムがほとんどない4歳半のSasha

私が彼を見たとき、心の中は。。なんということ。彼は怪物。彼の体はゆがみ、膨張していた。リンパシステムがないのです。匿名で写真を撮りました。病院の2人の友達と一緒でした。それはグロテスクで信じがたい。非人間的だ。天はどうしたらこんなことができるのか?事故?それは事故だった。人は、全て網羅している、全ての可能性を全部面倒見るといい、人間が作った全てのものが、機能しなくなり、壊れた。だから、彼の体は普通に働かない。自分の体が自分の体に害を与える。彼は驚くべき子供だ。命に満ちて、エネルギーに満ちて。聡明で、なんでも知りたがる。走り回り、ゲームをして遊ぶ。とてもおおらかで。彼はただ、素晴らしい子供だ。本当に知的で、賢く、輝く目を持ち、そして、彼は怪物。




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ベラルーシ 2000 Gonel 臨床病院 Aleysa Beoia 17歳 11歳のときに白血病を診断される

Aleysaは助けを得るのに6ヶ月アメリカにいて、英語を話しました。1日を彼女を知るために話して過ごし、明日来るから、と彼女にいいました。そして翌日戻り、



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ベラルーシ 2000 Gonel 臨床病院 Aleysaロシア、アイルランド、アメリカ、そしてベラルーシ6年以上で治療を受ける。治療の効き目はなかった。

通訳と部屋に入ると、Aleysaのところで、Sashaは完全に麻痺していて、恐れと苦悶の表情でした。Aleysaはこん睡状態で、ひどい苦痛の中でした。


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ベラルーシ 2000 Gonel 臨床病院 Aleysa昏睡状態。死に近づく。3歳のとき、チェルノブイリ爆発の後、汚染された雨の中走り出て遊ぶ。


私には、望みがないように思えました。そして、写真を撮ってもよいか尋ねました。尋ねると彼女は、ええ、と言います。「皆に、彼らが何をしたのか見てほしい!」



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ベラルーシ 2000 Gonel Aleysaの母、彼女がなくなった日、一日中祈る。


そしてAleysaは一日を悲嘆し、哀願し、神に嘆願して過ごしました。「私の娘。私の娘。」写真はつらいものです。




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ベラルーシ 2000 Gonel Aleysaの母、Lidaと父Sasha 娘が病院で死んでいく日の苦悩

母親のことを考えました。父親のことを考えました。家族のことを考えました。つらいと思います。Aleysaを御覧なさい。悲嘆して一日を過ごしました。私の愛する娘。置いていかないで。置いて行かないで。私の愛する娘。愛する娘。


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ベラルーシ 2000 Gonel 診察の間娘がこん睡状態に陥って言った後で、感情に圧倒されるLida


置いていかないで、私の命。

Aleysaが3歳のとき、彼女は外に走って出て、黒い雨の中遊んでしまったのです。



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コメント
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
【2014/07/03 18:08】 | 株の投資 #- | [edit]











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ボア君 21歳
(いのしし年生まれ)
ラビ君 18歳
(うさぎ年生まれ)
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(ラブラドール犬 ♀)

と連れ合いに、そして周りの全ての人たちから日々幸せをもらっている母です。

バンクーバー近郊に被曝からの避難を考えている方、できる範囲でお手伝いします。遠慮なくご連絡ください。




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