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メルトダウンと戦う人々

 2012-03-03
それぞれの災害の傷跡で紹介されていた、BBC放送の「メルトダウンの内側」の全映像です。


BBC This World 2012 Inside the Meltdown



注:以下、私訳は、英語の部分だけです。

去年、津波が日本を荒廃させた7日後、消防士たちは、致命的に損傷した福島第一原発複合施設に向かいました。

3つの原子炉がメルトダウンしました。

ミッションは、放射性瓦礫の間を潜り抜け、水を核燃料に放水することでした。

これがもし失敗したら、広大な地域にわたり人が住めなくなることを、政府は恐れていました。

0.53 このフィルムは、災害の最前線の、とても特殊なビデオを使っています。そして後に、原子炉を守った男たちと、再度撮影したものです。これは、当事者よって語られた、福島メルトダウンのインサイドストーリーです。

1.20 それは、放射性降下物によって終わってしまった人の営みの話です。

1.32 そしてそれは、更にもっと悲惨な惨事となるのを避けるために(人の)命に賭けた、主相の話でもあります。


Picture25.jpg
メルトダウンの内側


3月11日

1日目


2.54 福島第一原子力発電所を襲った地震は、記録史上一番強力なものでした。発電所を動かす東電は、作業員に公言することを禁じました。しかし1年経ち、話す人がいます。

3.49 日本の原発は、地震に持ちこたえるように設計されていて、原子炉は自動的に即、停止します。しかし高放射線量を放つ核燃料ロッドは、停止した後も、ものすごい高温の熱を発します。なので、バックアップのジェネレーターが、冷却システムを稼動するためにが作動し、核燃料が溶けだすのを止めます。

4.19 サトウ・タカシさんは、今は原発では働いていませんが、原子炉の調査員で、あの日何が起きたかの詳細にわたる記録をつけていました。

4.53 海岸で、その漁師には、次に起こることがわかっていました。


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5.15 イダ・ヨシウチさんは、自分の船を守りたかったのです。彼は、ここ100年で日本に起きた津波のなかでも最大の波へとまっしぐらでした。その波が打ちつける前に、その頂点に辿りつくのを願っていました。

5.55 最大の波は、原発を守っている防波堤の2倍以上の高さでした。

6.26 原子力発電所では、一人の作業員が、同僚たちが高いところに逃げる映像を撮っていました。

6.46 午後3:35、最大の大波が打ち寄せました。
東電は、科学者たちに、津波の防御が適切でないと警告されていましたが、何の処置もほどこしませんでした。東電は、まだその問題については検討しているのだと言っていたのです。そして今、津波は、防波堤を圧倒し、そして今、原子力発電所を浸水し始めたのです。

7.35 ムラカミ・ユキオ(偽名)、まだ原発で働く、長年の東電の原子力技術者です。彼は、東電にインタビューを禁止されているので、自分の身分を隠して欲しいと頼みました。


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8.12原子炉の冷却機能に必要な、ほとんどのバックアップジーゼル発電機は、地下にありました。もしそれらが動かなければ、核燃料が最終的に、地下へとメルトダウンする可能性があるのです。そして悲惨なまでの放射能を放出することになります。

8.50 これは、原発が惨事へと滑り込んでいく経過の中で、その技術者が、制御室内、最前線で起こっていたことを走り書きした日誌です。

15”42’ 原子力緊急事態発令
15”58’ 水位の測定喪失
16”36’ 緊急炉心冷却システム機能不全。注水不可。

8.51 日本の最有力の企業のうちの1つ、東電の役員たちは、自分たちの原発のうちの1つが、全く電力が供給できなくなる状態に陥ることなど、想像もしていませんでした。彼らには、次にどうしたらよいのかというプランは全くなかったのです。

10.08 津波から90分以内で、日本政府は、日本史上最大な災害のうちの1つに取り組むのに混乱していました。今、総理大臣が、福島の冷却システムが機能しなくなったと知らされました。

10.56 政府は、メルトダウンを避けるために、破壊された発電所に緊急発電ジェネレータートラックを送りました。ところが、トラックはすぐに、地震のための交通混乱の中に巻き込まれたのです。


5:30pm


11.24 津波から2時間たち、海岸沿いは荒廃していました。2万名の人々が死亡、あるいは行方不明でした。

福島で農業を営むキムラ・ノリオさんは、原発からたった2マイルのところに住んでいます。彼は、廃棄物トラックの職場にいましたが、今は家族を捜索しています。生存者は、地元のスポーツセンターに集まっていました。原発事故が展開していることには気付いていませんでした。

12.31 ノリオさんの父親は、行方不明でした。そして彼の妻も。そして末の娘のユナちゃん。


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13.04 夜の帳が落ち、日本政府は、福島第一から2マイルに住む全ての人に避難勧告を出しました。しかしノリオさんも、他の人も、その勧告を無視し、原発の陰の中で、家族を探し続けました。


11:30pm


13.29 最初のジェネレータートラックが、深夜に近づいたときに到着しました。原子炉は、今では7時間以上電気を失った状態です。


13.51 しかしジェネレーターは、送電板にプラグを差し込む必要がありました。それは地下室にあります。

14.07 救済法は失敗に終わりました。技術者たちは今では、完全な惨事に直面していました。そして、炉心の中で何が起こっているのかを理解するために動いている計器が何もありませんでした。彼らは必死に測定することを求めていました。

14.40 かき集められたバッテリーのおかげで、一号機の制御室の5つのモニタリング計器が再稼動できるようになりました。深夜少し前に、作業員たちは圧力計器の電源を回復しました。そこで読み出された情報は、パニックをおこしました。

15.09 技術者たちは、炉心の核燃料ロッド内の温度が上昇しているのを認識しました。そのことで、大変な量の放射性蒸気と水素を生み出していました。その圧力の結果、作業員たちは水を燃料に入れられなくなっていました。更に悪いことに、その圧力が、格納容器を爆発させてしまうかもしれないのです。その結果は、東北の一部を、何世紀にもわたり人の住めないところにしてしまう、と言うことです。

15.46 そのころ東京では、主相が背筋の寒くなるようなメッセージを受け取っていました。福島発電所の作業員が、爆発を防ぐために、放射性蒸気(ガス)を緊急に大気中に放出しなければならなかったのです。


1:00am

2日目



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16.14 放射能は、長い間、とてもデリケートな話題でした。1945年に、アメリカが広島と長崎に原子力爆弾を投下したあと、何万人もの人々が、放射線被曝による疾病や癌で亡くなりました。しかし今、主相は、放射性物質を放出する以外の選択肢がない、と言うことを許可しなければならないと感じているのです。


16.59 しかし、東電が政府に伝えていないことがありました。東電は、電力がない状態でベントをするように状態に陥ることがあるということを描いていませんでした。どうすればよいのかわからなかったのです。

17.30 真っ暗な1号機の制御室で、作業員たちが、必死で青写真に光をあて、どのようにベントをあければよいのか探っていました。


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手書きの日誌は、このとき、放射線量が上昇していることを物語っていました。

18.07 技術者たちは、政府と東電が何ヶ月も認識していなかったあることを疑っていました。メルトダウンが始まっていたのです。


6:00am

2日目



18.34 東京では、ベント指示を出して6時間、発電所からは何の連絡もありません。政府は、東電が真実を隠しているのではないかと疑い始めました。首相は急遽決断しました。自ら福島第一に出向くのです。

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19.25 福島第一原発では、主相が直接東電の技術者に会いました。彼は、原子炉のベントを主張しました。

20.00 ヨシダ・マサオ所長は、率直に話すことで知られていました。彼は、弁付近の放射線量が致命的な値であることを知っていました。しかし彼は主相に、必要であれば、決死隊を送り込むことを告げました。

20.22 主相は東京に戻りました。彼は原子炉のベントの支持が行った者に死を宣告することになるかもしれないことを知っていました。しかし日本の未来がかかっていたのです。

20.55 しかし、まだベントは起こりまんでした。周辺の村の住民の避難がまだ完全に終わっていないという知らせが、東電から入りました。人々は、まだ圧倒的な津波で行方不明になった家族を探していました。もし原子炉がベントされていたら、それらの人々は、危険なレベルの放射線に被曝した可能性があります。そのうちの1人、キムラ・ノリオさんです。


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21.41 ノリオさんは、娘の一人アユちゃんを見つけました。しかし彼はまだ、末娘と、妻、そして父親を探しています。今、選択に迫られています。捜索を諦めるか、生き残った娘を被曝の危険にさらすか。

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22.49 3月12日の朝9:00を過ぎたばかりのとき、原発の周辺の村々は避難させられました。東電は、ベントチームに出動を命じました。


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23.08 発電所の日誌には、最初のチームの2人の作業員が9:04 amに出発したと示しています。


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23.29 この映像は、放射線量がまだ高かった、7ヵ月後に東電によって撮影されたものです。ベントチームが作業しなければならなかった原子炉建屋を映しています。

24.16 作業員はそれぞれ原子炉建屋にいる時間が17分と制限されています。

24.29 9分後、作業員は、弁を開けるハンドルを見つけました。それをひねると開きます。そして、時間切れになると引き戻ります。更に何十人も続きます。それぞれが数分だけ建屋にいるのです。一人の作業員は、通常5年間現場で働くときの線量よりもよりも高い放射線量を受けました。


2:00pm

2日目



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25.14 その日の午後、かすかなガスのプルームが、原子炉の圧力を外に流れているのを示しました。ベントチームには、日本の東北を、悲惨な爆発から救ったことが明らかのように思われました。

福島の作業員たちは、制御室で電気を取り戻しました。最悪の事態は免れたと思い始めていました。

25.52 ベントが完了して、作業員たちは、炉心に致命的に必要な水のことに焦点を当てていました。突然、地面が揺れたのです。

26.50 技術者たちは、原子炉自体が爆発し、核燃料をばら撒くのではないかと怖れました。制御室で、彼らは放射線を監視していました。そして、生きていられるのかの結果を待っていました。

27.31 後になって、記者にだけ認められたコメントで、ヨシダ所長は、最悪の事態を怖れていた、と思い起こしました。

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28.07 1時間後、放射線量が落ち着きました。技術者は原因究明に賢明でした。漏れた水素が爆発して、建屋の屋根が吹き飛びましたが、原子炉は無事でした。

28.36 東京では、官房長官が、危機を小さく見せようとしていました。

28.48 しかし、その舞台裏では、政府は、状況が制御下にないことを知っていました。爆発は、炉心に水を入れる道を閉ざしてしまいました。核燃料が溶け出し、更に酷いレベルの放射能を吐き出すのは時間の問題だったのです。

29.54 すでに、爆発が吐き出した放射性プルーム(雲)は日本中を漂っていました。政府は避難地区を、発電所から12マイルの住民全てに逃げるように拡大しました。キムラ・ノリオさんと、生き残った娘は、そのニュースを聞いたとき、危険な地区にいました。

30.59 3月12日の午後になってやっと、大脱出が始まりました。


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世界は、福島で、事態がかなり悪化していることに気付き始めました。1万人以上の住民が原発周辺から避難しました。そのとき人々が知らなかったのは、降下物が直接降り注いだ、更に危険なところに向かって逃げていたということです。今日まで、このとき起こったことが、避難した者たちの怒りの原因になっています。


31.53 ヒラウチ・ノゾミさんと、その家族は、爆発した日に村から逃げました。その前日に、父親が津波で亡くなりました。

32.26 その日、政府のスピーディーと知られているコンピューターシステムが、いくらかの避難者たちが避難している、正にその場所に降下してすることを予測していました。しかし、原子力安全機関(NISA)の役人たちは、主相にそのデータを渡すのに気が進まなかったといいます。正確かどうかわからなかったからです。


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33.10 原発から北西に20マイルの津島地区では、何千人もの人々が避難所に落ち着き、自分たちは安全だと考えていました。実際には、放射線レベルは、原発そのものの、いくつかの所よりも高かったのです。これらの線量は命に関わるほどではありませんが、避難者たちを、絶望的に健康不安にさせました。ヒラウチさんの赤ちゃんが、避難の直後に生まれました。


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8:00am

4日目



34.08 今、津波から65時間が過ぎました。福島原発で、作業員たちは、新たな危機に直面していました。爆発が、溶け出した1号機と2号機の炉心に水を入れるのを減速させていたのです。そして、今3号機もメルトダウンしました。東電には救援が必要でした。自衛隊の特殊部隊が現場に送り込まれました。また、水素が溜まり、3号機がいつ爆発してもおかしくなかったのです。


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35.06 このチームのイワクマ・シンジさんは、放射性粒子から体を守るために、防護服に身をまとっていました。しかしガンマ線については何の防御にもなりません。ミッションは、3号機の炉心に直接水を注入することでした。

36.00 隊員たちは、今では高線量の放射性瓦礫に囲まれていました。爆風で怪我をしていましたが、致命的な被曝量を受けないように、皆その場を逃げました。


3:00pm

4日目



36.38 発電所のコンディションは、今では、とても薄弱になりました。1つの原子炉近くの放射線量は、毎時1000ミリシーベルトにまで上昇しました。1時間後のこのレベルを被曝すると、放射線疾病を招きます。数時間では、死を意味します。

37.19 夜になり、ニュースが東電本社に入りました。東電は、作業員の原発からの退避を考慮し始めたのです。

37.57 次に起こることは、福島についてのこの話で、最も議論を呼ぶものの1つです。その夜、主相を、不穏なメッセージが待っていました。東電の発電所が、残っている全ての作業員を退避させると言われたのです。完全な放棄です。誰かを残して、発電所を管理下においておくということは何も言われませんでした。

38.47 その瞬間、発電所では、吉田署長が全作業員を集めていました。


5:30am

5日目



39.42 その間、首相が、東京の東電本社に到着していました。退避を止める決断をしていたのです。彼は、東電の役員と話すことを求めました。ビデオリンクで、福島の技術者たちも見ていました。

40.45 東電の役員たちは、全ての作業員を退避させると言ったことを否定しています。その朝、彼らは、発電所に最少要員を残すことに同意しました。彼らは、フクシマ50として知られることになりました。今彼らは中央制御室を見下ろしているでしょう。

41.20 何百人もの作業員たちは、数マイル離れたところでスタンバイしていました。パイプを敷き、水を流しいれるためです。しかし、発電所に近づくには、放射線レベルが高すぎました。そのとき、アメリカの原子力専門家が到着しました。政府と東電は、今では力が及ばないのでは怖れていたのです。


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41.45 「人数を知らされていました。現場にいる、とても少ない人数です。そして、それが充分でないことは分かっていました。彼らは、そのときに成されなければなかったことをやるためには。」

41.58 その日、彼らは、日本からの情報の欠如にいらだち、アメリカは発電所の上空から真実を探るために飛ぶ決断をしました。彼らが入手したデータは、不穏なものでした。1つ目の水素爆発が、放棄された核燃料のプールを大気中に曝していました。これらの使用済み燃料ロッドは、まだ強烈に線量が高いのです。もしプールの水がなくなれば、火事を起こしてしまいます。そして、その場合の汚染は、原子炉のメルトダウンよりも酷いものになりかねません。


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「水が不足していることから、使用済み燃料プールの中で、燃料に損傷が起こっていることの明らかな徴候はありませんでした。日本人がアメリカが言うことを心配しているように、アメリカは日本が言うことを心配していました。とにかく残っているのを全部入れる。中に水を入れる、と言うことです。」


9:40am

7日目




42.59 日本の主相は、必死の作戦を命じました。空から使用済み燃料プールに水を投げ込むということです。最初に飛び立った隊員は、ソビエトのパイロットが、同じことをチェルノブイリ原発事故で行った後、癌で死んだことを知っていました。

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43.52 この偵察で、このミッションは、原子炉の高い放射線量のため、やめることになりました。今度は、タングステンプレートがヘリコプターに、ボルトで止められました。隊員たちは、300フィートの上空を動いている状態で原子炉に水を落とさなけれはなりませんでした。もしそれより高ければ、失敗します。それよりも低ければ、危険な量の被曝をしてしまいます。

45.05 彼らのターゲットは、彼らの下でした。


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45.26 世界がそのミッションを、発電所から20マイルのところに設置されているカメラからライブで見つめていました。

46.15 しかし、彼らの2度目のミッションで、彼らははずしてしまいました。他のヘリコプターが後に続きましたが、正確に落とすためには、風が強すぎました。アメリカの原子力チームは、このオペレーションをモニタリングしていました。

「私たちは、自分たちで放射線量を測っていました。水を落とした後、放射能レベルが下がるかどうかを見るためです。あぁ。。下がりませんでした。」

46.46 アメリカ政府は、内密に、日本にいる9万人のアメリカ人の避難計画を描き始めました。50マイル以内にいるイギリス人全ては、その地域を離れるように忠告されました。日本の避難地区は、12マイルのままでした。

アメリカの監督は、原子炉の異常に放射線量が高い放射性核燃料が、原子炉周辺に飛び散っていると主張していました。それは、この発電所に近づくものは誰もが、命の危険を犯していることを意味します。


11:00am

8日目



47.22 危険にもかかわらず、日本政府は、東京の消防士チームに、燃料プールにどんなことをしてでも、水を放水する命令を出しました。彼らは、放射能のコンディションで作業をした経験の全くありませんでした。

48.05 隊長は、そのルートを描くために先に行きました。

48.31 彼らは、水をくみ上げるために、消防車を海近くに駐車し、燃料プールに放水するために80メートルのホースを引きました。

48.48 ユニークな映像が、その夜、原子力事故の最前線の面前で撮影されました。消防士たちが、原子炉に迫る準備をしている姿を映しています。

49.05 彼らには、ミッションを完了させるのに60分しかありませんでした。それ以上だと、限界異常の被曝をしてしまうのです。

49.54 放射線モニタリング車が、消防員たちの目の前に設置されました。

50.09 消防士たちは、今では進むごとに線量を自分で測り、ホースを自分の手で引かなければなりません。

50.28 線量計のアラームが危険な放射能の増加を示しています。

50.51 100ミリシーベルトのレベルは、1時間以上いると、消防士たちが発癌の危険性に直面する言うレベルです。

51.21 現場で60分過ごした後、ホースはやっと接続されました。

51.54 消防士たちが立ち去るとき、発電所の放射線レベルが下がり始めました。彼らは、東京に戻り始めました。家族に、彼らが何をやっていたのか、家族に話していない人もいました。


9日目


52.27 放射線レベルが低下し、東電がチャンスをつかみました。100名のスタンバイしていた作業員たちが、発電所に向かいました。彼らのミッションは、何マイルものパイプを引いて、炉心に常に水を入れられるようにすることです。早くしなければなりません。放射能レベルが又、急上昇するかもしれないのです。

53.08 繰り返しますが、東電は、これらの作業員が話しをすることを禁じています。しかし声を上げる選択をした人もいます。

53.30 東電は、ほとんどの線量計が、津波で流されてしまった、と言っています。
しかし、彼らは、おのおののグループが1つずつ持つようにさせていました。

53.58 パイプが引かれたとき、水が炉心に絶え間なく流れ始めました。何日も死におびえた後、制御センターの作業員たちは、希望を持ち始めました。

54.27 何週間も、難しく、危険な作業が待ち受けていましたが、何とか状況を食い止めはじめていました。

54.47 後に、作業員が、原子炉の1つの中にカメラを入れました。白い閃光は、ガンマ線によるものです。東電は今では、1号機の溶けた燃料が、格納容器のコンクリートの穴の中にあると考えています。

55.52 福島メルトダウンから放出された放射能は、何百立法マイルもの東北の地を汚染しました。10万名以上の人々が、その放射能降下物から逃げました。キムラ・ノリオさんは、白馬の山に引っ越しました。ここと、他の日本の地だけ、生き残った娘を安全に放射能から守る事ができると考えています。津波から数週間たって、妻と父親の遺体が見つかりました。しかし末娘のユナちゃんは、まだ行方不明です。

56.43 災害から4ヶ月後、ノリオさんは、福島に戻りました。発電所から12マイルの場所は、まだ立ち入り禁止です。動物たちは、置き去りにされ、餓死しました。生き残ったものは野生化しました。


Picture24.jpg


57.21 原発からたった2マイルのこの村から避難しているものたちが、津波でなくなったもののための法要を行っています。ノリオさんにとっては、原発事故前の命/営みに別れを告げる機会です。そして、残してきた娘の命に。

58.26 ノリオさんがかつて住んでいた海岸地帯は、おそらく20年は住むことができないでしょう。





これは、日本がこれからずっと立ち向かわなければならないことの

ほんの始まりでしかありません。



何かすっきりしないのは、


自衛隊や、消防士の人たちは、ヒーロのように輝き、誇りに満ちているのに、

原発でこつこつ長期にわたり働いている作業員の方々は、

同じようにヒーローで、誇りで輝き、

人々の感謝に包まれていなければならないはずなのに、

なにか、悲しく感じられ。。。



話すことも許されないなど、

言語道断です



賃金はもちろん、健康保険や、年金、いろいろな面で優遇されても良いだけの仕事をしていませんか?

同じように、命を賭けてやっている仕事ではないですか?



彼ら一人一人も、日の丸を背負って仕事をしているのです。




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Blue Dolphine

Author:Blue Dolphine
ボア君 21歳
(いのしし年生まれ)
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(ラブラドール犬 ♀)

と連れ合いに、そして周りの全ての人たちから日々幸せをもらっている母です。

バンクーバー近郊に被曝からの避難を考えている方、できる範囲でお手伝いします。遠慮なくご連絡ください。




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